嶋田 至のブログ
「共感」について説明することはなかなか難しい
2021-12-11
チームづくりについて説明するとき、どう伝えてもうまく伝わった手ごたえを感じにくい言葉があります。
「共感」という言葉もそのひとつです。
共感とは、ひとことで言うと相手の気持ちを感じることです。
共感とよく似た言葉には、同情、哀れみ、共鳴、感情移入といった言葉があります。
どれも「相手の気持ちを感じる」という意味ですが、どの言葉を使うかによって、その感じ方が微妙に異なっているように感じます。
同情は、ちょっと「上から目線」のような感じがします。
私にはそんな気持ちはないけれど、あなたはいま感じている...。
ちょっと突き放したような感じでしょうか。
共鳴という言葉は、もう少し対等な感じがします。
相手の感じている気持ちを、いま私も感じようとしている、ともに響いている...といった感覚でしょうか。
感情移入というと、もっと相手の気持ちに踏み込んだ感じがします。
相手が今感じている気持ちを、そのまま受け取ろうとする、追体験しようとするような親密さを感じます。
どれが「いい」とか「悪い」とかいうことではないです。
いま自分は目の前の人の話を聞いたり、表情を見たりしながら、どういう姿勢をとるのがいちばんこの場にふさわしいだろうか、相手とのより良い関係にふさわしいだろうということです。
そんなことが、チームづくりに大切な要因じゃないと思います。
共感には、さらに強い言葉があります。
コンパッション(compassion)です。
passionは情熱ですが「キリストの受難」の意味もあるそうです。
コンパッションとは、十字架にはりつけられた人の苦しみや悲しみ、悔しさや無念さなどを実感するという意味になります。
つまり、相手の気持ちだけでなく、その背景もともに担うような感覚でしょうか。
そういえば、沖縄にはかつて「ちむぐりさん」という言葉があったそうです。
(今は使われていないと聞きましたが...)
「ちむ」は肝(肝臓)のこと、「ぐりさん」は「痛む」ことだそうです。
昔の人たちは、肝に心があると考えていたそうだから、「ちむぐりさん」とは「心が痛む」という意味になります。
相手の話を聞いて自分の心が痛むこと...。
コンパッションに通じる言葉かもしれません。
もっとも、つねに共感が求められるはありません。
ただ、まわりの誰かが自分らしく関わるためになにか困難があると感じられたとき、その人の気持ちを受けとろうとすることも大切かもしれません。
いま、何がこの人の発言を阻んでいるのか。
この人の心の中に、どんなわだかまりがあるのか。
共感することは、ただ悲しんだり微笑んだりすることにとどまりません。
強い共感がおこるとき、自分のなかに今とるべき行動が見出されてくることがあります。
共感することが行動につながり、それが人と人とをさらにつなぐことにもなります。
だから、共感することを大切にしてほしい...ということなのですが。
いま書きながらも、うまく伝えられている実感がまるでありません。
共感について説明することは、なかなか難しいものです。
それでも説明をしつづけなければならない、大切な言葉だと思います。
※写真は、チーム経営の長尾文雄さんが『看護管理』(医学書院)に寄稿した「共感」の記事から抜粋したものです。