嶋田 至のブログ
与謝野晶子の文章から
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2015-09-24
シルバーウィークに、堺市の「さかい利晶(りしょう)の杜」に行ってきました。
今年オープンした、千利休と与謝野晶子を記念した施設です。
利休も与謝野晶子も、生きた時代は異なりますが、ともに堺の街で生まれ育った人です。
二人とも、名前はよく知られていますが、どんな人生を歩んだのかは、あまり知られていません。
この施設の展示を見ながら、あらためて二人の生きた時代について、二人の生き方について、知ることができました。
興味深く感じたことは多々ありますが、いちばん印象に残ったのは、晶子がフランスのパリを訪問したときの記録です。
こんな文章が、パネルで展示されていました。
「エトワールの広場の午後の雑踏に慣れた巴里人は、老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑踏の中を縫って衝突するところもなく、自分の志す方向に向かって歩いていくのです。
私はかつてその光景を見て、自由思想的な歩き方だと思いました。
危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑踏の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるということを確かめました。」
明治末期の多くの日本の女性たちは、大通りを自由に闊歩するような生き方はできなかったのですね。
晶子が、詩歌や評論、そして、自分自身の生き方を通じて、当時の女性たちに与えた影響は、とても大きなものだったのだろうなと感じました。
いえいえ、当時だけではなく、今も有効なメッセージかもしれません。
「思いきって大胆に足を運ぶと、自分の道の開けていく」感覚は、どれほどの人たちが実感しているでしょうか?
この文章は、今も私たちの背中を押しているような気がしました。