嶋田 至のブログ
「つながりの作法」が、私たち一人ひとりを生きやすくしていく
2018-07-31
知人の薦めで、『つながりの作法~同じでもなく違うでもなく』(NHK出版)を読んでみました。
アスペルガー症候群の綾屋紗月さんと脳性まひの熊谷晋一朗さんの共著です。
他者や社会とつながっていくことに困難を抱えてきた「マイノリティ」のお二人が、「互いの違いを認めた上でなお、つながっていく」ために何が必要なのかを書かれています。
綾屋さんは、マイノリティである自分が他者や社会とつながっていく過程を3つの「世代」で表現しています。
第1世代とは、自分がマイノリティであることに気づかないままに、社会の隅っこに追いやられている時期です。
「つらいのはあなただけじゃない、一緒に頑張ろう!」と励まされるなか、皆と一緒になるよう頑張りつづけ、無理がかさなって壊れていく時期です。
やがて、自分の病名を知り、仲間と出会って連帯する時期、「第2世代」が訪れます。
同じマイノリティのコミュニティのなかで、「私もあなたと同じだ」と自分の特別な感覚が承認され、孤独から解放され、シェルターのなかにいるような安心感を得られます。
しかし、コミュニティのつよい排他性や同調圧力のなか、しだいに息苦しくなってくるのです。
やがて、「違いを認めた上でなお、つながる作法」を見出す「第3世代」に移行していきます。
つながりの作法として、4つが紹介されています。
①世界や自己のイメージを共有すること
②実験的日常を共有すること
③暫定的な「等身大の自分」を共有すること
④「二重性と偶然性」で共感すること
説明すると長くなりますが、たとえば①は、多数派では「ないこと」も、マイノリティの人たちにとっては常に「あること」である場合があります。
そんなとき、その「あること」を率直に伝えられることです。
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「さみしい」と言えば、「どんなふうにさみしいの?」「ああ、それはわかる」「そうだね、そういうときって、さみしいよね」と、さみしさが共有される。それだけであんなに苦しんださみしさが消えるのだと知った…
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これらは、「べてるの家」や「ダルク女性ハウス」といった、マイノリティの当事者コミュニティとのかかわりから得られたものだそうです。
これらの当事者コミュニティでは、一人ひとりが自分の体験を語ります。
そのとき空気を読みあうことなく、「言いっぱなし」「聞きっぱなし」で、自分の語りに集中できることが大切だそうです。
また、「新しい仲間がいちばん偉い」というルールがあって、新たに参加して、まだ自分のことをうまく表現できない仲間が、懸命に言葉を探しながら嘘なく伝えようとする姿勢を受けいれることが大切だとされています。
そんなことが、そのコミュニティを豊かなものにしていくのだそうです。
マイノリティの人たちが他者や社会とつながっていくためには、多数派の人たちにおける「正しいコミュニケーション」とは違った作法が必要かもしれません。
ただ、その基本にあるのは、抑圧されずに自分のことを率直に語れることや、ささいな感情も吐露できること、同じような話も聴いて受けとめてくれる人のいることなど、多数派の人たちにとっても安心できる場なのだろうと思います。
そして、そんなことが多数派であれマイノリティであれ、私たち一人ひとりを生きやすくしていくのだろうと思います。
ときどき手に取って、自分とまわりとの関係性をふりかえってみるときに、大切な視点を与えてくれる本じゃないかなと思いました。