長尾 文雄のブログ
藤山寛美とグループを観る
2015-09-11
私は、Tグループと略称されるラボラトリー・トレーニングに、永年関わってきました。立教大学キリスト教教育研究所(JICE・現在Tグループは行っていない)、南山短期大学人間関係科と南山大学人間関係研究センター、聖マーガレット生涯教育研究所(SMILE)、ヒューマンインターラクション研究会(HIL)などのTグループで育てられました。そして、2000年から、対人援助職を目指す学生とボランティア活動に携わっている学生を対象に、ヒューマンコミュニケーション・ラボラトリー(HCL)を毎年1回開催しています。
話しは変わりますが、最近、ファシリテーションについての話し合いをしていた時、グループを観るとかグループに関わるとは、どういうことかという話題になりました。
ある人は次のように言ったのです。舞台の役者さんが、役柄に感情移入をして、その人物になりきっているけれども、名優と言われる役者さんは、眼の奥では、相手役の様子と舞台の上にいる人物の動き、さらに演じている自分をも観察しているようです。そして舞台の上だけではなく、観客席の反応もその視野に入れている節があるというのです。
そんな話の展開になっていたとき、「それって、藤山 寛美と一緒や!!」と、私は叫んでしまったのです。
藤山寛美(ふじやま かんび)は、1929年大阪に生まれ、1990年没の上方喜劇界を代表する喜劇役者。永年、阿呆役を演じれば天下一品の役者といわれ、松竹新喜劇の大スター。私の30歳代の頃、1970年代が彼の全盛期で、彼の舞台はTVで放映されていました。そのときの舞台での彼の演技を思い出したのです。
彼は阿呆役に徹しながら、その眼は相手役と他の役者の行動を冷静に観察し、観客の反応を感じ取ろうとしていたのです。相手役が寛美の阿呆役の演技に、思わず吹き出してしまい台詞が出なくなったら、彼はアドリブで、「○○といいたいんやろ!」と応答するのです。そこで観客席は大爆笑の渦がわき起こるのです。
実は、これと同じようなことをTグループのトレーナー(ファシリテーター)も行っているのではないかというのです。小グループの「いま、ここ」に起こっていることを視野に入れながら、メンバーにかかわり、メンバー間の関係に介入し、メンバーが自分の感情やあり方に気づき、グループに関わりを持っていきながら関係性を深めていく体験を促す役割がトレーナーです。
それを十全に果たすためには、グループのなかでは、一人のメンバーであると同時にトレーナーという役割を担ってグループの関係の中に没入しています。しかし、その視野の中には、自分も含めたグループ全体を俯瞰している「まなざし」が必要なのです。
これは、カウンセリングのトレーニングで言われている「第3の眼」を持つということにつながっているようです。カウンセリーとカウンセラーである自分の双方の中にある感情や考え、さらには隠された深い思いを感じ取りながら応答している関係につながっています。その眼があるから、相手との関係の中で、臨機応変な応答が生まれ、相手自身の気づきを促進できるのです。
グループを観る、グループに生きるというのは、藤山寛美の舞台でのあり方に学ぶところが多いのではないか。突拍子もない私の連想が、その場では妙に納得されたのです。
(家族心理学会ニュースレター2012/10)