「共感」ということを、私たちはとても大切にしています。
研修でも、よく、共感についてお話をしています。
共感することは、職場の人間関係づくりにとって、とても大切なことだと思うからです。

しかし、相手から「共感します」とか「共感した!」とか言われると、「本当かな?」と思ってしまうことがあります。
  
そんなに簡単に共感できるのか?
本当に共感してくれているのか?
そんな思いでしょうか。

昔、太宰治が「優しさ」について、こんな手紙を書いたそうです。

「優」という字は、「やさしい」とも読むし、「すぐれている」とも読みます。
その字は、「人」と「憂い」が合わさった感じです。
相手のことを「憂うる」こと、相手の気持ちや思いを受け取って憂うる。
解決するわけでもなく、オロオロと頭を抱えながら、何もできない。
 
そんな関係にあることが「優しさ」であり、人として「優れている」のではないか...。

このような内容の手紙だったと記憶しています。

共感は、「コンパッション」ともいうそうです。
パッションは「情熱」ですが、キリストが十字架に磔(はりつけ)にされた出来事のことも「パッション」と言います。
コンパッションは、ともに十字架上の苦しみを感じるような意味でしょうか。

キリストの弟子たちは、キリストが磔にされた十字架を見ながらオロオロするばかりで、何もできない。
それでいて、十字架上での苦しみを自分ごとのように受け取って、ともに苦しみを感じ、こらえている...

「共感」という言葉をつかうとき、そんな厳しく、もどかしく、それでもその場を離れずにいるような...、そんなイメージを思い浮かべてみるのもいいかなと思うことがあります。